72年ぶりの除名処分でガーシー氏が国会議員資格を剥脱された。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「これはガーシー氏だけの問題ではない。都合の悪い議員に除名をちらつかせて批判を抑えるという悪しき前例を国会に作ってしまった」という――。

■72年ぶりに解かれた「除名」の封印

防衛費の増額とか子育て支援とか、放送法の「政治的公平」の解釈とか、重要な論点が目白押しの今国会において、「ガーシー除名」というニュースメディアそれなりの手間と労力を割いているこの状況には、はたから見ていても本当にため息しか出ない。しかし、この話題を「国会に一度も登院しようとしなかったふざけた政治家が、国会から追い出されただけのこと」と、一笑に付す気にもなれない。

72年間も封印され「使われないことが当たり前」だった、国会議員に対する「除名という懲罰」が、令和の時代にこんな形で息を吹き返してしまったことに、筆者はそこはかとない恐怖感を覚えるからだ。

「あいつなら除名は当然だ」という判断が、いつしか少しずつ拡大解釈され、やがてその刃が「時の権力にとって都合の悪い議員」に向かう可能性は、本当にないのか。今回の一件の「罪」の重さは、実はこういうところにあるのではないかと思う。

■約28万人の負託を受けて当選

改めて繰り返すまでもないが、ガーシー(本名・東谷義和)氏は昨年7月の参院選で、当時のNHK党(現・政治家女子48党)から比例代表で立候補し、初当選した。芸能人らのプライベートを暴く「暴露系YouTuber」として知られていたガーシー氏は、その知名度を武器に28万7714票を集めて初当選。当選した時には「国会で寝ている議員を全員たたき起こす」と語った。

ところがガーシー氏は「国会で寝ている議員をたたき起こす」どころか、その国会に一度も足を運ぼうとしなかった。これなら寝ている議員の方が「国会に来ただけ、ガーシー氏よりまだましだった」ということにならないか。

■普通の国会議員が日夜「暴露」を行っている

そもそも、国会で行う「暴露」とは、プライベートを動画で面白おかしくしゃべる、という筋合いのものではない。時の権力が本来国民に公開すべきなのにしていない政策立案の過程や、積極的に隠している不祥事などを、国会での質疑という「表の場」で白日のもとにさらし、国民の利益につなげることだ。

最近で言えば、安倍政権の「桜を見る会」をめぐるおかしな予算支出は、2019年11月共産党の田村智子氏が地道な調査をもとに追及したことで火がついたし、現在国会で大きな焦点が当たっている放送法の「政治的公平」問題は、立憲民主党小西洋之氏が質疑で総務省の内部文書を示したことから、ここまでの注目を集める事態になった。

「暴露系」の手など借りなくても、国会では連日「ごく普通の国会議員たちが地道に日常の仕事を積み重ねて」多くのことを明らかにしているのだ。

そんな国会の日常をあざ笑っておきながら、ガーシー氏はいざ自分が国会議員になると、せっかく得られた議員としての力を、国民のために使いこなすことをしなかった。

病気やけがでもないのに、仕事場である国会に足を踏み入れることすら拒むような議員を、国民の税金で養う余裕はない。国民のために働く気のない議員に国民の税金がつぎ込まれ続ければ、民主主義の価値は確実に毀損されてしまう。

ガーシー氏に国会議員を名乗る資格などない、と考えることに、筆者は何の異論もない。

■「除名」という最も重い懲罰のハードルを下げた

にもかかわらず若干の危惧を覚えるのは、これだけ日本の社会に政治不信がまん延してしまったなかで「あの政治家国会議員を名乗る資格がない」という声が、安直に「そんな国会議員は資格を奪われて良い」という声に結びつき、さらにそのハードルが下がってしまうことだ。

ガーシー氏の問題は「国会議員の除名」という、その存在すらほぼ忘れられていた懲罰の存在に、再び光を当てることになった。各種報道で「現憲法下では72年ぶり3人目」と繰り返されれば、どうしても「前の2人」が注目されることになる。

1951(昭和26)年に除名処分を受けた、共産党の川上貫一衆院議員のケースでは、サンフランシスコ講和条約に向けて国内に「単独講和か全面講和か」の論争があった当時、衆院本会議の代表質問で「全面講和の締結と占領軍の撤退」を求めたことが「国会の品位を汚した」と批判された。川上氏もまず議場での陳謝を命じられたが、応じなかったため除名処分となった。

除名に至るかどうかはともかく、何かにつけ政権批判の声を封じようとしている昨今の国会でも、ありそうな光景に思えたのは筆者だけだろうか。

■「ほぼ全会一致」となった決議が示すもの

憲法は国会議員の除名について、出席議員の3分の2以上の賛成を必要としている。過半数ではなく「3分の2」なのは、政治的立場を異にする与野党が、党派を超えて「除名が必要」との認識で一致する、つまり「そのくらい酷いケースでなければ除名すべきではない」ということだ。

今回のガーシー氏の場合、参院は国会法にのっとり、時間をかけて相当慎重に手続きを踏んだ。本会議でも除名への反対票は1票だけ。多くの国民が除名の妥当性を、比較的無理なく理解しただろう。

だが川上氏のケースは、国会でのごく普通の言論活動が除名の対象となった。議会の反応もガーシー氏のように「ほぼ全会一致」というものではなかった。除名処分を決めた衆院本会議では、共産党のみならず社会党議員からも「主義主張に基いての発言は十分に許されなければならぬことは、民主政治、議会政治の要請であります。これを圧迫することは、百害あって一利がありません」との反対討論が行われた。除名への反対票は71票もあった(賛成は239票)。

■ガーシー氏は二重の意味で民主主義を毀損した

現在は衆院での小選挙区制度導入の影響もあり、政権与党が巨大化しやすくなっている。与党だけで3分の2を押さえることも難しくなくなり、与党は野党の反対を気にすることなく、独善的な国会運営が可能になっている。もはや「3分の2」という数字は「与野党が党派を超えて同じ認識に立てる」という意味を失いつつあるわけだ。

もちろん筆者も、ガーシー氏の除名を機に、すぐに除名が連発されるような国会になるとは思っていない。しかし「政権与党が気に入らない野党議員に照準を定め、除名の可能性をちらつかせて批判の矛先を鈍らせる」ような振る舞いが、今後全くないとは言い切れない、とも思う。

ガーシー氏の「罪」は、単に自らが国会をサボり続けたことだけではない。「国会議員の除名」という、永遠にお蔵入りさせておくべき手続きを国会に「使わせてしまった」ことによって、前述したような懸念を膨らませてしまったことにもある。

ガーシー氏は二重の意味で民主主義を毀損したのだ。

■有権者が民主主義を守るためにすべきこと

このような事態を避けられなかった以上、もはや現在の政治家だけに、民主主義の価値を守ることを丸投げしているわけにはいかない。有権者自身が民主主義の価値を守る動きに加わらなければならない。

心に留めるべきことは2つあると思う。一つは「独善的な政権政党を作らない」ことだ。どの政党であれ、時の政権政党の権力行使のありようを常に厳しく監視し、多数におぼれて国会などで独善的な振る舞いをすれば「次の選挙では確実に政権から転落する」という緊張感を与え続けることだ。

■アウトサイダー系政治家はいらない

もう一つは「二度とガーシー氏のような、民主主義の価値を毀損する議員を作らない」ことだ。

メディアはこれまで、何かにつけて有権者に対し「政治はつまらない」「国会議員は働いていない」という印象を植え付けてきた。そして、そんな空気を1人でぶち壊してくれそうな「アウトサイダー系」の政治家に過剰にスポットライトを当てて、盛り上げてきた。

だが実際はどうだろう。ガーシー氏は「暴露系」を売りにして意気揚々と国会に乗り込む構えを見せたが、結果として何もできなかった。一方で前述したように、国会では今日も「ごく普通の国会議員たちが地道に日常の仕事を積み重ねて」多くのことを明らかにしている。

もういい加減、メディアに踊らされて「アウトサイダー系」の政治家に「政治を変えてくれる!」などと過大な期待をすることはやめるべき時なのではないか。

一度、だまされたと思って国会を見てほしい。真面目にこの社会を少しでも良い方向に進めようとしている議員の姿が、たとえ少なくとも、必ず目に入るはずだ。そういう議員の中から自らの「推し」を探すことの方が、回り道のようでも政治を変える近道である。筆者はそう信じている。

----------

尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

----------

参院本会議を欠席したNHK党のガーシー参院議員の氏名標=2023年1月27日、国会内 - 写真=時事通信フォト


(出典 news.nicovideo.jp)

「病気やけがでもないのに、仕事場である国会に足を踏み入れることすら拒むような議員を、国民の税金で養う余裕はない。」全くそのとおり

<このニュースへのネットの反応>

つまり野党は立法活動ではなく暴露系の活動を頑張ってると。ガーシ―に行った票が欲しいのか共産党。





前回除名になった川上というのについてはだいぶオブラートに包んで書いてるんだろうなと想像してしまう。共産党議員というのを見て。


過去除名された1名はたしかに共産党だったけどむしろ彼らの中では共産主義を受け入れずに弾圧する悪しき米国GHQと日本政府に政治家生命をかけて真っ向から戦った英雄ですらある。